らくらく読書 夏目漱石 吾輩は猫である(6) タイトルバナー

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以下は このページの先頭に埋め込まれている らくらく読書プレーヤー で読むことができる 吾輩は猫である(6) 第二章(3) の各ページの文章をルビ付きで掲載しています。

1ページ目
いくら結城紬(ゆうきつむぎ)が丈夫(じょうぶ)だって、こう着(き)つづけではたまらない。
 所々(ところどころ)が薄(うす)くなって日(ひ)に透(す)かして見(み)ると裏(うら)から つぎ を当(あ)てた針(はり)の目(め)が見(み)える。
 主人(しゅじん)の服装(ふくそう)には師走(しわす)も正月(しょうがつ)もない。
 ふだん着(ぎ)も余所(よそ)ゆきもない。
 出(で)るときは懐手(ふところで)をしてぶらりと出(で)る。
 ほかに着(き)る物(もの)がないからか、有(あ)っても面倒(めんどう)だから着換(きが)えないのか、吾輩(わがはい)には分(わか)らぬ。
ただしこれだけは失恋(しつれん)のためとも思(おも)われない。
  両人(ふたり)が出(で)て行(い)ったあとで、吾輩(わがはい)はちょっと失敬(しっけい)して寒月君(かんげつくん)の食(く)い切(き)った蒲鉾(かまぼこ)の残(のこ)りを

2ページ目
頂戴(ちょうだい)した。
 吾輩(わがはい)もこの頃(ころ)では普通(ふつう)一般(いっぱん)の猫(ねこ)ではない。
 まず桃川(ももかわ)如燕(じょえん)以後(いご)の猫(ねこ)か、グレーの金魚(きんぎょ)を偸(ぬす)んだ猫(ねこ)くらいの資格(しかく)は充分(じゅうぶん)あると思(おも)う。
 車屋(くるまや)の黒(くろ)などは固(もと)より眼中(がんちゅう)にない。
 蒲鉾(かまぼこ)の一切(ひときれ)くらい頂戴(ちょうだい)したって人(ひと)からかれこれ云(い)われる事(こと)もなかろう。
 それにこの人目(ひとめ)を忍(しの)んで間食(かんしょく)をするという癖(くせ)は、何(なに)も吾等(われら)猫族(ねこぞく)に限(かぎ)った事(こと)ではない。
 うちの御三(おさん)などはよく細君(さいくん)の留守(るす)中(ちゅう)に餅菓子(もちがし)などを失敬(しっけい)しては頂戴(ちょうだい)し、頂戴(ちょうだい)しては失敬(しっけい)している。
 御三(おさん)ばかりじゃない現(げん)に上品(じょうひん)な仕付(しつけ)を

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受(う)けつつあると細君(さいくん)から吹聴(ふいちょう)せられている小児(こども)ですらこの傾向(けいこう)がある。
 四五日(にち)前(まえ)のことであったが、二人(ふたり)の小供(こども)が馬鹿(ばか)に早(はや)くから眼(め)を覚(さ)まして、まだ主人(しゅじん)夫婦(ふうふ)の寝(ね)ている間(あいだ)に対(むか)い合(あ)うて食卓(しょくたく)に着(つ)いた彼等(かれら)は毎朝(まいあさ)主人(しゅじん)の食(く)う麺麭(パン)の幾分(いくぶん)に、砂糖(さとう)をつけて食(く)うのが例(れい)であるが、この日(ひ)はちょうど砂糖(さとうつぼ)壺が卓(たく)の上(うえ)に置(お)かれて匙(さじ)さえ添(そ)えてあった。
 いつものように砂糖(さとう)を分配(ぶんぱい)してくれるものがないので、大(おお)きい方(ほう)がやがて壺(つぼ)の中(なか)から一匙(ひとさじ)の砂糖(さとう)をすくい出(だ)して自(じ)分(ぶん)の皿(さら)の上(うえ)へ

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あけた。
 すると小(ちい)さいのが姉(あね)のした通(とお)り同分量(どうぶんりょう)の砂糖(さとう)を同(どう)方法(ほうほう)で自分(じぶん)の皿(さら)の上(うえ)にあけた。
 少(しば)らく両人(りょうにん)は睨(にら)み合(あ)っていたが、大(おお)きいのがまた匙(さじ)をとって一杯(いっぱい)をわが皿(さら)の上(うえ)に加(くわ)えた。
 小(ちい)さいのもすぐ匙(さじ)をとってわが分量(ぶんりょう)を姉(あね)と同一(どういつ)にした。
 すると姉(あね)がまた一杯(いっぱい)すくった。匙(さじ)をとる。
 見(み)ている間(ま)に一杯(いっぱい)一杯一杯と重(かさ)なって、ついには両人(ふたり)の皿(さら)には山盛(やまもり)の砂糖(さとう)が堆く(うずたか)なって、壺(つぼ)の中(なか)には一匙(さじ)の砂糖(さとう)も余(あま)って

5ページ目
おらんようになったとき、主(しゅじん)人が寝(ね)ぼけ眼(まなこ)を擦(こす)りながら寝室(しんしつ)を出(で)て来(き)てせっかくしゃくい出(だ)した砂糖(さとう)を元(もと)のごとく壺(つぼ)の中(なか)へ入(い)れてしまった。
 こんなところを見(み)ると、人間(にんげん)は利己(りこ)主義(しゅぎ)から割(わ)り出(だ)した公平(こうへい)という念(ねん)は猫(ねこ)より優(まさ)っているかも知(し)れぬが、智慧(ちえ)はかえって猫(ねこ)より劣(おと)っているようだ。
 そんなに山盛(やまもり)にしないうちに早(はや)く甞(な)めてしまえばいいにと思(おも)ったが、例(れい)のごとく、吾輩(わがはい)の言(い)う事(こと)などは通(つう)じないのだから、気(き)の毒(どく)ながら御櫃(おはち)の上(うえ)から黙(だま)って見物(けんぶつ)していた。

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 寒月(かんげつ)君(くん)と出掛(でか)けた主人(しゅじん)はどこをどう歩行(ある)いたものか、その晩(ばん)遅(おそ)く帰(かえ)って来(き)て、翌日(よくじつ)食卓(しょくたく)に就(つ)いたのは九時(じ)頃(ごろ)であった。
 例(れい)の御櫃(おひつ)の上(うえ)から拝見(はいけん)していると、主人(しゅじん)はだまって雑煮(ぞうに)を食(く)っている。
 代(か)えては食(く)い、代(か)えては食(く)う。
 餅(もち)の切(き)れは小(ちい)さいが、何(なん)でも六切(むきれ)か七切(ななきれ)食(く)って、最後(さいご)の一切(ひとき)れを椀(わん)の中(なか)へ残(のこ)して、もうよそうと箸(はし)を置(お)いた。
他人(たにん)がそんな我儘(わがまま)をすると、なかなか承知(しょうち)しないのであるが、主人(しゅじん)の威光(いこう)を振(ふ)り廻(ま)わして得意(とくい)なる彼(かれ)は、濁(にご)った汁(しる)の中(なか)に焦(こ)げ爛(ただ)れた。

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餅(もち)の死骸(しがい)を見(み)て平気(へいき)ですましている。
 妻君(さいくん)が袋戸(ふくろど)の奥(おく)からタカジヤスターゼを出(だ)して卓(たく)の上(うえ)に置(お)くと、主人(しゅじん)は「それは利(き)かないから飲(の)まん」という。
 「でもあなた澱粉質(でんぷんしつ)のものには大変(たいへん)功能(こうのう)があるそうですから、召(め)し上(あが)ったらいいでしょう」と飲(の)ませたがる。
 「澱粉(でんぷん)だろうが何(なに)だろうが駄目(だめ)だよ」と頑固(がんこ)に出(で)る。
 「あなたはほんとに厭(あ)きっぽい」と細君(さいくん)が独言(ひとりごと)のようにいう。
 「厭(あ)きっぽいのじゃない薬(くすり)が利(き)かんのだ」「それだってせんだってじゅうは大変(たいへん)に

8ページ目
よく利(き)くよく利(き)くとおっしゃって毎日(まいにち)毎日(まいにち)上(あが)ったじゃありませんか」「こないだうちは利(き)いたのだよ、この頃(ごろ)は利(き)かないのだよ」と対(ついく)句のような返(へんじ)事をする。
 「そんなに飲(の)んだり止(や)めたりしちゃ、いくら功能(こうのう)のある薬(くすり)でも利(き)く気遣(きづか)いはありません、もう少(すこ)し辛防(しんぼう)がよくなくっちゃあ胃弱(いじゃく)なんぞはほかの病気(びょうき)たあ違(ちが)って直(なお)らないわねえ」とお盆(ぼん)を持(も)って控(ひか)えた御三(おさん)を顧(かえり)みる。
 「それは本(ほんとう)当のところでございます。
 もう少(すこ)し召(め)し上(あが)ってご覧(らん)にならないと、

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とても善(よ)い薬(くすり)か悪(わる)い薬(くすり)かわかりますまい」と御(お)三(さん)は一も二もなく細(さい)君(くん)の肩(かた)を持(も)つ。
 「何(なん)でもいい、飲(の)まんのだから飲(の)まんのだ、女(の)なんかに何(なに)がわかるものか、黙(だま)っていろ」「どうせ女(おんな)ですわ」と細君(さいくん)がタカジヤスターゼを主(しゅじん)人の前(まえ)へ突(つ)き付(つ)けて是非(ぜひ)|詰腹(つめばら)を切(き)らせようとする。
 主(しゅじん)人は何(なん)にも云(い)わず立(た)って書斎(しょさい)へ這入(はい)る。
 細君(さいくん)と御三(おさん)は顔(かお)を見合(みあわ)せてにやにやと笑(わら)う。
 こんなときに後(あと)からくっ付(つ)いて行(い)って膝(ひざ)の上(うえ)へ乗(の)ると、大変(たいへん)な目(め)に逢(あ)わされるから、そっと庭(にわ)から廻(まわ)って

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書斎(しょさい)の椽側(えんがわ)へ上(あが)って障子(しょうじ)の隙(すき)から覗(のぞ)いて見(み)ると、主人(しゅじん)はエピクテタスとか云(い)う人(ひと)の本(ほん)を披(ひら)いて見(み)ておった。
 もしそれが平常(いつも)の通(とお)りわかるならちょっとえらいところがある。
 五六分(ぷん)するとその本(ほん)を叩(たた)き付(つ)けるように机(つくえ)の上(うえ)へ抛(ほう)り出(だ)す。
 大方(おおかた)そんな事(こと)だろうと思(おも)いながらなお注意(ちゅうい)していると、今度(こんど)は日記帳(にっきちょう)を出(だ)して下(しも)のような事(こと)を書(か)きつけた。
  寒月(かんげつ)と、根津(ねづ)、上野(うえの)、池(いけ)の端(はた)、神田(かんだ)|辺(へん)を散歩(さんぽ) 池(いけ)の端(はた)の待合(まちあわせ)

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  の前(まえ)で芸者(げいしゃ)が裾模様(すそもよう)の春着(はるぎ)をきて羽根(はね)をついていた。
 衣装(いしょう)は美(うつく)しいが顔(かお)はすこぶるまずい。
 何(なん)となくうちの猫(ねこ)に似(に)ていた。
  何(なに)も顔(かお)のまずい例(れい)に特(とく)に吾輩(わがはい)を出(だ)さなくっても、よさそうなものだ。
吾輩(わがはい)だって喜多床(きたどこ)へ行(い)って顔(かお)さえ剃(す)って貰(もら)やあ、そんなに人間(にんげん)と異(ちが)ったところはありゃしない。
 人間(にんげん)はこう自惚(うぬぼ)れているから困(こま)る。
  宝丹(ほうたん)の角(かど)を曲(まが)るとまた一人(ひとり)芸者(げいしゃ)が来(き)た。
 これは背(せい)のすらりとした撫肩(なでがた)の恰好(かっこう)よく出来(でき)上(あが)った女(おんな)で、着(き)ている薄紫(うすむらさき)の衣服(きもの)も素直(すなお)

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  に着(き)こなされて上品(じょうひん)に見(み)えた。
 白(しろ)い歯(は)を出(だ)して笑(わら)いながら「源(げん)ちゃん昨夕(ゆうべ)はつい忙(いそ)がしかったもんだから」と云(い)った。
  ただしその声(こえ)は旅鴉(たびがらす)のごとく皺枯(しゃが)れておったので、せっかくの風采(ふうさい)も大(おおい)に下落(げらく)したように感(かん)ぜられたから、いわゆる源(げん)ちゃん  なるもののいかなる人(ひと)なるかを振(ふ)り向(む)いて見(み)るも面倒(めんどう)になって懐手(ふところで)のまま御成道(おなりみち)へ出(で)た。
 寒月(かんげつ)は何(なん)となくそわそわしているごとく見(み)えた。

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 人間(にんげん)の心理(しんり)ほど解(げ)し難(がた)いものはない。
 この主人(しゅじん)の今(いま)の心(こころ)は怒(おこ)っているのだか、浮(う)かれているのだか、または哲人(てつじん)の遺書(いしょ)に一道(いちどう)の慰安(いあん)を求(もと)めつつあるのか、ちっとも分(わか)らない。
 世(よ)の中(なか)を冷笑(れいしょう)しているのか、世(よ)の中(なか)へ交(まじ)りたいのだか、くだらぬ事(こと)に肝癪(かんしゃく)を起(おこ)しているのか物外(ぶつがい)に超然(ちょうぜん)としているのだかさっぱり見当(けんとう)が付(つ)かぬ。
 猫(ねこ)などはそこへ行(い)くと単純(たんじゅん)なものだ。
 食(く)いたければ食(く)い、寝(ね)たければ寝(ね)る、怒(おこ)るときは一(いっしょう)生懸命(けんめい)に怒(いか)り、泣(な)くときは絶体(ぜったい)絶命(ぜつめい)に泣(な)く。

14ページ目
第(だい)一日記(にっき)などという無用(むよう)のものは決(けっ)してつけない。
 つける必要(ひつよう)がないからである。
 主人(しゅじん)のように裏表(うらおもて)のある人間(にんげん)は日記(にっき)でも書(か)いて世間(せけん)に出(だ)されない自己(じこ)の面目(めんぼく)を暗室(あんしつ)内(ない)に発揮(はっき)する必要(ひつよう)があるかも知(し)れないが、我等(われら)猫属(ねこぞく)に至(いた)ると行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、行屎送尿(こうしそうにょう)ことごとく真正(しんせい)の日記(にっき)であるから、別段(べつだん)そんな面倒(めんどう)な手数(てかず)をして、己(おの)れの真面目(しんめんもく)を保存(ほぞん)するには及(およ)ばぬと思(おも)う。
 日記(にっき)をつけるひまがあるなら椽側(えんがわ)に寝(ね)ているまでの事(こと)さ。

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  神田(かんだ)の某亭(ぼうてい)で晩餐(ばんさん)を食(く)う。
 久(ひさ)し振(ぶ)りで正宗(まさむね)を二三杯(はい)飲(の)んだら、今朝(けさ)は胃(い)の具合(ぐあい)が大変(たいへん)いい。
 胃弱(いじゃく)には晩酌(ばんしゃく)が一番(いちばん)だと思(おも)う。
 タカジヤスターゼは無論(むろん)いかん。
 誰(だれ)が何(なん)と云(い)っても駄目(だめ)だ。
  どうしたって利(き)かないものは利(き)かないのだ。
無暗(むやみ)にタカジヤスターゼを攻撃(こうげき)する。
 独(ひと)りで喧嘩(けんか)をしているようだ。
今(けさ)朝の肝癪(かんしゃく)がちょっとここへ尾(お)を出(だ)す。
 人間(にんげん)の日記(にっき)の本色(ほんしょく)はこう云(い)う辺(あたり)に存(ぞん)するのかも知(し)れない。

16ページ目
  せんだって○○は朝飯(あさめし)を廃(はい)すると胃(い)がよくなると云(い)うたから二三日(さんち)朝飯(あさめし)をやめて見(み)たが腹(はら)がぐうぐう鳴(な)るばかりで功能(こうのう)はない。
  △△は是非(ぜひ)|香(こう)の物(もの)を断(た)てと忠告(ちゅうこく)した。
 彼(かれ)の説(せつ)によるとすべて胃病(いびょう)の源因(げんいん)は漬物(つけもの)にある。
 漬物(つけもの)さえ断(た)てば胃病(いびょう)の源(みなもと)を涸(か)らす訳(わけ)だから本復(ほんぷく)は疑(うたがい)なしという論法(ろんぽう)であった。
 それから一週間(しゅうかん)ばかり香(こう)の物(もの)に箸(はし)を触(ふ)れなかったが別段(べつだん)の験(げん)も見(み)えなかったから近頃(ちかごろ)はまた食(く)い出(だ)した。
 ××に聞(き)くとそれは按腹(あんぷく)揉療治(もみりょうじ)に限(かぎ)る。

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  ただし普通(ふつう)のではゆかぬ。
 皆川流(みながわりゅう)という古流(こりゅう)な揉(も)み方(かた)で一二度(ど)  やらせれば大抵(たいてい)の胃病(いびょう)は根治(こんち)出来(でき)る。
 安井息軒(やすいそっけん)も大変(たいへん)この按摩(あんま)術(じゅつ)を愛(あい)していた。
 坂本竜馬(さかもとりょうま)のような豪傑(ごうけつ)でも時々(ときどき)は治療(ちりょう)をうけたと云(い)うから、早速(さっそく)上根岸(かみねぎし)まで出掛(でか)けて揉(も)まして見(み)た。
 とこ  ろが骨(ほね)を揉(も)まなければ癒(なお)らぬとか、臓腑(ぞうふ)の位置(いち)を一度(いちど)顛倒(てんとう)しなければ根治(こんち)がしにくいとかいって、それはそれは残(ざんこく)酷な揉(も)み  方(かた)をやる。
 後(あと)で身体(しんたい)が綿(わた)のようになって昏睡病(こんすいびょう)にかかったよう

18ページ目
  な心持(こころも)ちがしたので、一度(いちど)で閉口(へいこう)してやめにした。
 A君(くん)は是非(ぜひ)固形(こけいたい)体を食(く)うなという。
 それから、一日(にち)牛乳(ぎゅうにゅう)ばかり飲(の)んで暮(くら)して見(み)たが、この時(とき)は腸(ちょう)の中(なか)でどぼりどぼりと音(おと)がして大水(おおみず)でも出(で)たように思(おも)われて終夜(よもすがら)眠(ねむ)れなかった。
 B氏(し)は横膈膜(おうかくまく)で呼吸(こきゅう)して内臓(ないぞう)を運動(うんどう)させれば自然(しぜん)と胃(い)の働(はたら)きが健全(けんぜん)になる訳(わけ)だから試(ため)しにやって御覧(ごらん)という。
 これも多少(たしょう)やったが何(なん)となく腹中(ふくちゅう)が不安(ふあん)で困(こま)る。
 それに時々(ときどき)思(おも)い出(だ)したように一心(いっしん)不乱(ふらん)にかかりは

19ページ目
  するものの五六分(ぷん)立(た)つと忘(わす)れてしまう。
 忘(わす)れまいとすると横膈(おうかく)膜(まく)が気(き)になって本(ほん)を読(よ)む事(こと)も文章(ぶんしょう)をかく事(こと)も出来(でき)ぬ。
 美学者(びがくしゃ)の迷亭(めいてい)がこの体(てい)を見(み)て、産気(さんけ)のついた男(おとこ)じゃあるまいし止(よ)すがいいと冷(ひや)かしたからこの頃(ころ)は廃(よ)してしまった。
 C先生(せんせい)は蕎麦(そば)を食(く)ったらよかろうと云(い)うから、早速(さっそく) かけ と もり をかわるがわる食(く)ったが、これは腹(はら)が下(くだ)るばかりで何等(なんとう)の功能(こうのう)もなかった。
 余(よ)は年来(ねんらい)の胃弱(いじゃく)を直(なお)すために出来得(できう)る限(かぎ)りの方法(ほうほう)を講(こう)じて

20ページ目
  見(み)たがすべて駄目(だめ)である。
 ただ昨夜(ゆうべ)寒月(かんげつ)と傾(かたむ)けた三杯(さんばい)の正宗(まさむね)はたしかに利目(ききめ)がある。
 これからは毎晩(まいばん)二三杯(ばい)ずつ飲(の)む事(こと)にしよう。


吾輩は猫である

吾輩は猫である』(わがはいはねこである)は、夏目漱石の長編小説であり、処女小説である。
1905年(明治38年)1月、『ホトトギス』にて発表されたのだが、好評を博したため、翌1906年(明治39年)8月まで継続した。 上、1906年10月刊、中、1906年11月刊、下、1907年5月刊。
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。」という書き出しで始まり、中学校の英語教師である珍野苦沙弥の家に飼われている猫である「吾輩」の視点から、珍野一家や、そこに集う彼の友人や門下の書生たち、「太平の逸民」(第二話、第三話)の人間模様が風刺的・戯作的に描かれている。
着想は、E.T.A.ホフマンの長編小説『牡猫ムルの人生観』だと考えられている。 また『吾輩は猫である』の構成は、『トリストラム・シャンディ』の影響とも考えられている。

あらすじ

吾輩は猫である(6) 第二章
「吾輩」の最初の記憶は、「薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた」ことである。出生の場所は当人の記憶にはない(とんと見当がつかぬ)。その後まもなく書生に拾われ、書生が顔の真ん中から煙を吹いていたものがタバコであることをのちに知る。書生の掌の上で運ばれ(移動には何を利用したかは不明)、笹原に我輩だけ遺棄される。その後大きな池の前~何となく人間臭い所~竹垣の崩くずれた穴から、とある邸内に入り込み、下女につまみ出されそうになったところを教師(苦沙弥先生)に拾われ、住み込む。
人間については飼い主の言動によりわがままであること、また車屋の黒によると、不人情で泥棒も働く不徳者であると判断する。

家に、寒月、迷亭、東風などが訪問し、好き放題のでたらめを言う。

登場人物

吾輩(主人公の猫)
珍野家で飼われている雄猫。本編の語り手。「吾輩」は一人称であり、彼自身に名前はない。人間の生態を鋭く観察したり、猫ながら古今東西の文芸に通じており哲学的な思索にふけったりする。人間の内心を読むこともできる。

珍野 苦沙弥(ちんの くしゃみ)
猫「吾輩」の飼い主で、文明中学校の英語教師。妻と3人の娘がいる。偏屈な性格で、胃が弱く、ノイローゼ気味である(漱石自身がモデルとされる)。あばた面で、くちひげをたくわえる。その顔は今戸焼のタヌキとも評される。頭髪は長さ二寸くらい、左で分け、右端をちょっとはね返らせる。吸うタバコは朝日。酒は、元来飲めず、平生なら猪口で2杯。なお胃弱で健康に気を遣うあまり、毎食後にはタカジアスターゼを飲み、また時には鍼灸術を受け悲鳴を上げたり按腹もみ療治を受け悶絶したりとかなりの苦労人でもある。

車屋の黒
大柄な雄の黒猫。べらんめえ調で教養がなく、大変な乱暴者なので「吾輩」は恐れている。

迷亭(めいてい)
苦沙弥の友人の美学者。ホラ話で人をかついで楽しむのが趣味の粋人。近眼で、金縁眼鏡を装用し、金唐皮の烟草入を使用する。 美学者大塚保治がモデルともいわれるが漱石は否定したという。また、漱石の妻鏡子の著書『漱石の思ひ出』には、漱石自身が自らの洒落好きな性格を一人歩きさせたのではないかとする内容の記述がある。

水島 寒月(みずしま かんげつ)
苦沙弥の元教え子の理学士で、苦沙弥を「先生」とよぶ。なかなかの好男子。戸惑いしたヘチマのような顔(第四話)。富子に演奏会で一目惚れする。高校生時代からバイオリンをたしなむ。吸うタバコは朝日と敷島。門下生の寺田寅彦がモデルといわれる。

御三(おさん)
珍野家の下女。名は清という。主人公の猫「吾輩」を好いていない。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』吾輩は猫である 

夏目漱石

夏目 漱石(なつめ そうせき、1867年2月9日〈慶応3年1月5日〉 - 1916年〈大正5年〉12月9日)は、日本の教師・小説家・評論家・英文学者・俳人。本名は夏目 金之助(なつめ きんのすけ)。
俳号は愚陀仏。明治末期から大正初期にかけて活躍し、今日通用する言文一致の現代書き言葉を作った近代日本文学の文豪の一人。
代表作は『吾輩は猫である』『吾輩は猫である』『三四郎』『それから』『こゝろ』『明暗』など。明治の文豪として日本の千円紙幣の肖像にもなった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』夏目漱石

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縦方向で1文字ずつスクロール表示

上記は芥川龍之介の羅生門の1ページ目から2ページ目までの 1文字ずつ縦書き(タテ方向文字スクロール)表示 の例(GIF動画)
行ごとの終わりを意味する下向きの三角形のマーク 1行毎の終わりを意味する下向き三角形マークが表示されているときにプレーヤーの画面上でクリックまたはタップすると次の行の表示に移ります。

(上の画像(gif動画)のように自動的に次の行に進むわけではありません。1行毎にクリックしながら読み進めていき、現在ページの最終行の場合にクリックすると次のページに画面の表示が切り替わります。 *前のページに戻る機能 もあります。 )

縦書き(タテ方向への文字スクロール表示)、横書き(ヨコ方向への文字スクロール)表示の切り替え

以下は芥川龍之介の羅生門の1ページ目から2ページ目までの 1文字ずつ表示(ヨコ方向) に切り替えた場合の例(GIF動画)
横方向で1文字ずつスクロール表示

(らくらく読書プレーヤーの設定画面から 縦書き(タテ方向表示) と 横書き(ヨコ方向表示) をそれぞれ切り替えることができます。)

同じページに表示される全ての漢字に ふりがな(ルビ) を表示可能 (全ルビ表示)

以下は芥川龍之介の羅生門の1ページ目で 全ての漢字にふりがな(ルビ) を表示した場合の例(画像)
羅生門の1ページ目で全ての漢字にふりがな(ルビ)を表示


(らくらく読書プレーヤーの設定画面で ルビ(ふりがな)の表示方法 を切り替えることができます。)

最後に開いたページ番号を各作品(小説)別に自動的にブラウザに記録(保存)されるので次回以降、続きのページから読み始めることができる

などの機能を使って読書や漢字が苦手な方でも簡単にすらすらと読むことができます。

通常の紙媒体や電子書籍の小説の場合、1ページあたりの文字数が多すぎて読む気をなくしてしまう
(読書プレーヤーでは各行を1行ずつ、1文字単位のスクロール表示が可能)、

漢字の読み方(ふりがな<ルビ>)を忘れてしまって、そのたびに前のページに戻らないといけない などの理由で 読書に苦手意識のある方におすすめです。

また文字の表示方法として1文字単位のスクロール表示だけではなく

クリックまたはタップするごとに1行単位で表示するモード や 通常の小説のように1度に1ページ分の全ての文字を表示するモード  への変更(設定画面から変更可)もできます。

以下は芥川龍之介の羅生門の1ページ目から2ページ目までの 1行ずつ表示(全ての漢字にルビを表示) の例(GIF動画)

全ての漢字にルビを表示かつ1行ずつスクロール表示


以下は 芥川龍之介の羅生門 のページで実際にスマートフォンのブラウザ上でらくらく読書プレーヤーが起動・表示されている様子のスクリーンショット画像です。タイトルバナー(以下の場合 らくらく読書 羅生門 芥川龍之介 という文字が表示されているバナー画像)の直下の部分で起動されます。(読書プレーヤーの 読み込み・起動 が完了するまでにはご利用のネットの回線速度や使用機種の処理速度等で変化し数秒~数十秒程度かかりますので起動が完了するまでしばらくお待ちください。)

らくらく読書プレーヤーが起動に成功してる例


読書プレーヤー(ノベルプレーヤー) の操作方法の詳細 は らくらく読書プレーヤーの使い方(説明) からご覧いただけます。

*なお当サイトの読書プレーヤーの動作には JavaScript(ジャバスクリプト) を有効にする必要があります。
(動作しない場合はご利用の各ブラウザの設定画面で有効にしてください。)

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